top of page

エピソード116 『天空の城』

エピソード116


この港町はトロデーンというらしかった。

海辺の町にも様々なものがあるが、ここは漁が盛んな港町である。

旅人のれいを見ても別に怪訝な顔はしないが、そう関心もないようだった。

「親はどこにいるのだ?」とよく聞かれ、「一人だ」と答えると皆目を丸くするのだった。やや過保護な子育て文化を持つ町なのかもしれない。


久しぶりに武器屋なんぞを目にする。

剣ではない、異なる形の武器種が多い。戦い方にも流行や習慣の違いがあるのか。海にも魔物は出るらしく、漁師たちは武器も携帯して、船の上で魔物と戦ったりもするそうだ。すると剣よりもオノや槍のほうが都合が良いようだった。誰も騎士のような格好をして戦ったりはしないのだ。

潮風の匂いに浸りながら、その土地の独特な文化について話を聞くのは面白かった。


れいは磯の匂いを少し臭いと感じたが、「臭い匂いの元はどこだ?」と町の人に尋ねても、「何のことだ?」と返されるだけだった。そうか、住んでいる人々にとってこの臭いはもう鼻に染みついていて、異臭と感じないのだろうな、と察した。

臭いゆえ、海辺の町は苦手かもしれない、とれいは少し戸惑ったが、行商の盛んな商人が、「漁業をしない海辺の町なら少しマシかもしれない」と言った。磯臭さというのは、魚や魚介類を捌くときに出る血の匂いや腐臭の影響が大きいんじゃないかと、彼は言った。


やはり色々な人に話を聞くべきだ。話しかけた誰かが雄弁に語ってくれるとき、「そうか。この町はこうなんだな」とすべてをわかった気になってしまう。しかし他の人と話してみると、随分違う視点の意見をこれまた雄弁に語ってくれたりする。どちらが正しいか結論付けるのは、余所者には早すぎる。れいが出来ることは、2つや3つの意見を組み合わせて広い視野を持つことだ。

誰が悪いやつだとか、誰が正しいとか、そういう話になることも少なくない。しかしやはり、語り手によって正義が誰かが大きく異なるのだった。少なくとも余所者の私は、中立を心がけているべきなのかな、とれいはわかってきた。

毎日漁に出て、甲斐甲斐しく子供にご飯を食べさせ、真面目で質実な町。しかし少しカリカリしている民なのかな、というふうにれいは感じた。笑顔は少なく、冗談を言う人はいない。

子供を愛していて、子供の文句ばかり言っている。

配偶者を愛していて、配偶者の文句ばかり言っている。



町の奥には海がある。

この漁師町は簡素で、港なんていうものは造られていない。浜辺に船が並んでいる。

船は、小さくとも深い胴体を持つ漁船だ。これを駆って男たちは海に出ていくのだろう。

北の果てまで来てしまったわけだ。れいは左右をキョロキョロと見渡し、どっちに進もうか考えた。左は西だ。昼下がりの太陽はこちらに傾いており、西を向くとまぶしくてしかたない。なので太陽に背を向け、れいは右側に、東側に舵を切った。


漁船の姿がなくなると、れいはもう少し波打ち際に近づいてみる。

波というものが、絶え間なく寄せては返す様子が、れいにはとても新鮮で不思議だ。一体どういう仕組みなんだろう?なぜ波が起こるんだろう?海辺に暮らす者にとって当たり前すぎることだが、れいにとっては不思議でたまらないのだった。その波を見ているだけでも面白い。

波に足を付けてみる。冷たい!それはそうだ。ラオの水が熱いのは例外中の例外である。

靴を脱ぎ、素足を浸けてみる。もっと冷たい!そして、波が動くたびに砂がれいの足をくすぐっていく感覚がなんともいえない。ふふ、と一人で微笑むのだった。

そのまま波打ち際を、ぴちゃぴちゃと歩いた。

Komentar


bottom of page