第3章 それぞれの冒険
エピソード67
赤茶けた大地を歩き続ける、長い長い行程になった。
セーニャの里を出るとき、れいは少し名残惜しい気持ちになったが、今はもはやこの風景がお腹いっぱいである。目に砂が入り、体が砂埃で赤くなる日々ももうお腹いっぱいだが、そこからすぐに抜け出すことも適わない。しかし、その不自由さもまた冒険なのだ。それを「楽しい」と感じることがあるし、それがれいを強くしていく。
そう。「単調さ」というのは冒険の1つの重要なパーツである。歩く旅ならなおさらだが、広大な土地は本当に、うんざりするほど広大で、延々と同じような風景が続いていく。「飽きたから出たい」は無理なのだ。壁のない牢屋の如くである。手強い魔物に討ち勝つのと同じくらい、「単調さ」というものに討ち勝たなければならない。
旅をする1年間は、人生のうちで最も変化が多く、荒野を歩く1日は、人生のうちで最も変化がない。
ときどきはセーニャのところと同じ様な里を見つけることもあった。食料の補給やまともな就寝のために、寄ることもあった。「農業をするのか?」と尋ねて「しない」と返答があると、きっとセーニャの里と同じような精神性であることが察せられた。何か問題を抱えているかもしれないが特に尋ねることもなく、極力我関せずを貫いた。
デイジーは報酬など気にせず人助けをするが、誰を助けるかはそれなりに選り分けているようだった。
やがて大地の色は黄色がかってきた。黄土色と言うのだろうか。
そしてサボテンがよく原生するようになってきた。少し大地の特色が変わった。そして大きな山がそびえる。国境は山間いだというのでそのまま進んだ。
サボテンなどというのもれいは初めて見た。こんな植物があるのか!世界は面白い。
初めは魔物かと思ってしまったし、そうでなければ誰かの芸術かと思ってしまうのだった。
サボテンは水分を多く含んでいるので、砂漠でのどが渇いたときに活用できる、とデイジーは教えた。しかしトゲがたくさん付いているので、取り扱いは気を付けなければならない。
町という町はないが、旅人のために宿屋と商店だけが並ぶ休息地のようなものが度々ある。
そのうちの1つで休息していると、荷馬車を見つけた。荷馬車であれば時々見かけるが、なんとその荷馬車の御者は女性であった。恰幅のよい、子供をたくさん育ててきたような雰囲気のおばさんだ。
女性であることに安心して、国境まで乗せてもらえないか声を掛けてみた。女性は快諾する。
互いが互いに、女性であることにシンパシーを感じ、親近感を抱くのだった。
れ「女性の商人なんて珍しいですね」
女「あたしの町じゃ路上の風呂敷の上は女ばかりだよ。まぁ行商までするのは多くないけどね。
聖母信仰の町だからね。女がたくましくて当たり前なのさ」
れ「聖母信仰?」
女「あぁ。知らないこたないだろ?」
れ「いえ、よくわかりません。私の村は教会という教会がなかったもので」
女「へー!変わった村だね。
あちこち旅してたなら、あちこちの町の教会を見ただろ。
救世主の男の像か、そうでなければ聖母の像か、どっちかを祀ってるはずだよ」
れ「そうだったかもしれません」
女「あたしはその、聖母を信仰する町で育ったわけさ」
宗教にも色々あるのだな。
れいにとって宗教とは、「救世主の男に救いを求めて祈るもの」という印象があった。神頼みだ。
しかし聖母信仰の町では、「聖母のように逞しく面倒見よく生きなさい」という教えを実践するようだった。もちろん聖母に神頼みする者たちもいるが。
デ「他にも色々あるよ。宗教は」デイジーが手短に補足した。
馬車は、山の峰と峰の間のへこみをめがけて進んでいく。そのように轍(わだち)が敷かれている。
一体どのように国をまたぐのだろうと不思議に思っていたが、正解が見えてきた。
なんと、峰と峰のへこみの辺りに、大きな裂け目がある。割け谷になっているのだ。
山を貫いて、細い道が通っているのだった。
おおー!と二人は驚いた。
デ「自然が、こんな地形を作るのか?」
女「違うよ。人の手さ」
れ「それも驚きなんですけど?」
女「昔々、60年前の勇者様たちよりもっと昔の魔王を倒した一行に、アイゼンという戦士がいたそうな。
その戦士がなんか、オノをガツーンとやったら、こんな大きな裂け目が出来たらしいよ」
デ「大げさな伝説だろう?」
女「いやいやそうでもないらしいんだよ!すごい戦士がいたらしい。
武器に魔法を込めてたなんて噂もあるがね。それにしたってすごいわねぇ」
馬車は少しずつ、その割け谷に吸い込まれていく。
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