エピソード93
街のどこにいても、中心にそびえる時計塔はよく見える。それは時間を知るためのものでありつつ、方角を知るための役割をも担っているようだった。「えっと、時計塔があっちだから私の宿は・・・」というふうに位置関係を把握する。
そして不意に、リーンゴーンと大きな音が町に鳴り響いた。その正体もこの時計塔であるようだ。15時。どうやら毎時丁度になると、時計塔は街中の家々の、さらにプランターのゼラニウムの花1つ1つにまで染みわたるように、大きな音を鳴らす。
時報が鳴ったのを見て、仕事の休憩に入ったり、休憩から仕事に戻ったり、「買い物に行かなくちゃ!」と絵描きの主婦が我に返ったり、子供たちが家路に向かったり・・・と、人々の生活に密着しているようだった。
夜中まで鳴るのか?それはちょっとうるさいな、と余所者のれいは戸惑ったが、どうやら時報は19時で途切れるのだった。
この街の暮らしに溶け込みたいれいは、市街の本当に真ん中あたりにある、古い宿に部屋をとった。時計塔からも割りと近い。
夜の0時のこと。明日の予定もないので、今日は少し夜更かしだ。本を読み終えて、そろそろ寝ようとあくびをしたれいだったが、宿のロビーで誰かの叫び声がして驚かされた。
れ「なにごと?」
まぁ私には関係ないだろう。少々騒がしいが、今日は眠ろう。と思っていたら、
ドンドンドンドンドン!
なんと、れいの寝室の戸を誰かが叩く。
れ「え!」
れいは部屋着の上にローブを羽織って、「何ですか?」と応じた。宿の店主であった。
宿「あんた冒険者だったな!足腰が強かったりしないか?山登りとか!」
れ「は?」何だこれは。「魔物を倒せますか」ならまだわかるが・・・
宿「とにかく足腰が強くないかって聞いてるんだ!」
れ「えぇ、まぁ」
宿「ちょっとこの街を助けてほしいんだ!
時計塔のカジカ爺さんが、高熱でぶっ倒れちまったんだ!」
れ「あぁ、どこかに《薬草》を取りに走るのですね?」
宿「いいや違う!
時計塔に登ってほしいんだ!」
れ「え!?」
宿屋の店主は、れいに時計塔に登ってほしいという。
れ「まったく意味がわかりません・・・」
宿「すまん!慌てすぎた。
あの時計塔はゼンマイ仕掛けで動いてるんだ。毎日早朝に、掃除夫がネジを巻くことで、その日の動力源を得ている。その爺さんが倒れちまったんだよ」
れ「あぁ、なんとなくわかりました。
では明日起きたら、時計塔に向かいますね」
宿「いや、そんな悠長な話じゃないのさ!
今すぐやらなきゃなんないんだよ。だから焦ってんのさ」
れ「今すぐ?どうしてですか?」
宿「朝の6時よりも前には、時計塔に登りつめてなきゃならないんだよ。
それが間に合わないとどうなる?」
れ「どうなるのですか?」
宿「鐘が鳴らないんだよ!
6時の鐘が鳴らなかったら、街が動かなくなっちまうんだよ。
みーんなあの鐘が鳴るのを聞いて、『朝だ!』って目を覚ますんだから。
食堂は窯に火を入れるし、母親はスープを作り始める。
れ「!!」そうだ。街の人たちはあの鐘と共に動いていた。
宿「時計塔のゼンマイ小屋は、時計盤のすぐ裏にある。地上120メートルさ。
そんなところまでひょこひょこ登っていける健脚は、街にはあまりいないんだよ」
なるほど。それで冒険者に白羽の矢が立つわけか。
れ「わ、わかりました。やってみます!」
宿「これを持て!」宿主はれいにランプを手渡した。
宿「教会までは着いていってやるから」
まさか魔物は出ないだろう。《くさりかたびら》は着こまず、《風のローブ》だけを着替えてれいはすぐに寝室を出た。
時計塔までの距離を目で測れば、すぐ近くにあるように見える。
しかし住宅街は入り組んでいて、宿主の先導がなければ余計な遠回りを繰り返しそうなところだった。そして、走ってみると意外と距離もあるのだった。
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