僕は当時、
あるオーディオ・プレイヤーの会社の、サポートセンターに勤務していた。
雇用形態は、派遣社員だった。
身近なスタッフに関しては、みんな優しく人情的だった。
派遣社員は、正社員からすれば「外様」だから、
なれなれしい口の利き方はされかったし、
「残業、頼むよぉ!」などと無闇に甘えられることも、無かった。
派遣社員は、派遣会社からすれば、貴重な「商品」だった。
だから、派遣会社の担当者もまた、
馴れ慣れしい口の利き方は、しなかった。
「何か、職場環境に不備があれば、何でも報告してください!」
と、頼もしいことを口にしてくれていた。
…派遣社員が、派遣先の企業に対して直接「モノ申す」と、
波風が立ちやすいから、
派遣会社が、匿名的に進言してくれるようだった。
それなりに楽しく、それなりに充実して、
仕事は続いていった。
一つだけ、不満があった。
それは、給与だった。
僕らは、
「とりあえず、1,200円からで…」
という条件で、始まったはずだった。
派遣会社の担当者は、
「それなりに仕事をこなしていれば、
すぐに、時給は上げてあげられるハズだ」
というふうに言っていた。
その約束で僕は、1,200円という額を、飲んだのだ。
…僕は別に、ぜいたくを望んでは、いなかった。
自宅暮らしをしていたり、恋人と同棲でもしていたなら、
時給1,200円でも、何の問題も、不満も、無かっただろう。
しかし、僕は、
都内の真ん中で、一人暮らしをしていたのだ!
すると、時給1,200円だと、
毎日フルで働き、毎日1~2時間程度残業しても、生活費が、トントンだった。
もし、3日間インフルエンザで寝込んだら、もう赤字だったろう。
僕は、自分で言うのもナンだけれども、
「それなりに仕事をこなす」どころの騒ぎでは、無かった。
電話の対応数は、ほとんど毎日、トップだった。
入社して1週間後には、SVの人に、
「ムカイさんには、もう、注文の付けどころがナイっす。
敬語も上手いし、それでいて人情もあるし、
機転も利くし、クレーム処理も優秀っす!」
と、言われていた。
…なにしろ、
電話の仕事は、これが始めてではなかったし、
人と接することが、僕は好きだったからさ。
それだけじゃなかった。
メールによる顧客対応も、すぐにトップになった。
一番数多く電話に出た上で、一番数多く、メールを返したのだ。
更に、空いてる時間があれば、
社内マニュアル用のwebサイトを構築したり、
Illustratorを家から持ってきて、マニュアル資料を作ったりした。
僕は、およそ、
27年間の人生で培ってきたスキルを全て、
この会社に注ぎ込んでいた。
誰に尻を叩かれなくても、自発的に、やった。
出来高制じゃなくても、無欲で、やった。
「人生というのはそういうモンだ」と、僕は、感じる。
…つまり、
客観的に見て、
「僕というスタッフの時給を上げない理由」など、
どこにも見当たらなかった。
サポートセンターのスタッフは、全員一致で、そう言った。
しかし、
僕の給与は、一向に、上がらなかった…
最初は、
自分からは何も言わなかった。
自分から「給料を上げてください」と言うのは、
僕の美学に、反した。
それに、そんなことをせずとも、
僕の業務内容は、昇給の対象になるだろうと、確信していた。
…しかし、
半年経っても、何の音沙汰も無いので、
僕は、派遣会社の担当者に相談した。
「今の職場環境に不満は無いのだけれど、
自分の生活環境からすると、
1,200円で働き続けるのは、キツいです。」
といった具合だ。
派遣会社の担当者は、
1年ぐらい、同じことを言い続けていた。
「今、系列会社全体が、変革期を迎えているところなので、
そのプロセスが落ち着けば、
提携先の企業と、給与交渉が出来ると思います!」
僕は、その言葉を信じて、黙々と、待ち続けたのだ。
しかし、
一向に、昇給は起きなかった。
僕は、毎日残業をし、毎月ギリギリで生活し続けた。
…実は、貯金はあった。
貯金を毎月切り崩して、
月25万の生活費で、ぜいたくしながら暮らすことも可能ではあったけれど、
その貯金は、「旅資金」だったから、極力手は付けなかった。
給料は増えないのに、仕事は、増えた。
そのオーディオ会社は、典型的な、デフレ・スパイラルに陥ったためだ。
収益を確保するために、薄利多売を根詰めていった。
アジアのライバル会社と合併し、安い製品を大量に裁いた。
僕らは、
2倍の量の製品知識を身に付け、
2倍の量の問い合わせに、翻弄された。
派遣先のオーディオ会社は、
サポート・スタッフの増員を決めた。
しかし、
「派遣は金が掛かり過ぎる」と読んだらしく、
自前で求人広告を出し、「アルバイト」形態として、募集した。
さっぱり、集まらなかった。
社の上層部は、
「派遣社員が時給1,200円なのだから、
もっと緩い条件で募るアルバイト・スタッフは、時給1,000円で良いだろう」
と、踏んだ。
けれども、
サポートセンター・スタッフで、時給1,000円というのは、
都内のど真ん中の相場としては、余りにも、身の程知らずと言える。
僕は、自分のためにも、会社のためにも、
やがて来るであろう新人さんのためにも、
「週3日だろうがなんだろうが、
最低でも、1,200円には引き上げたほうが良い」
と、提案した。
案の定、すぐに、応募者が現れた。
新人は皆、
「真面目」ではあったけれど、「優秀」とは言えなかった…。
僕は、それまでの業務をこなしつつ、
更に、新人の教育までこなした。
それでもやはり、
僕の時給は、上がらなかった。
新人は、女性が多かった。
概ね、健康状態が芳しくなく、遅刻や欠勤が多かった。
尚且つ、
クレームの罵声は、彼女たちの心身を、更に蝕んだ…。
薄利多売が進めば進むほど、クレームの罵声も、激化した。
…彼女たちの遅刻や欠勤は、益々、増えた…。
クレームの多い電話業務で1,200円というのも、
相場としては、最底辺と言えた。
…そもそも、
クレーム処理だけでなく、
幅広い商品知識を身に付け、「サポート」をしなければならないのだ。
彼女たちは、案の定
「割に合わない」と感じ始めた。
僕は、
「アルバイトであろうが、週3日であろうが、
時給を上げてやったほうが良い」
と進言した。
僕の貢献度の高さによって、ほとんど「鶴の一声」同然だった。
僕が提案することは、たいてい何でも、すぐに採用された。
…「僕の時給額」以外は、すぐに、変更・採用された。
時給1,200円の僕は、
「1年以上も後輩の、週3日の女の子たち」に、
時給1,300円の環境を、与えたのだ(笑)
そして、僕が彼女たちを教え、彼女たちの当日欠勤の被害を被り、
彼女たちの2倍以上の仕事量を、人情たっぷりに、こなし続けたのだ(笑)
…さすがに、
僕の現状を哀れに感じてくれる先輩が、居た。
彼は、
オーディオ会社に、僕の昇給を掛け合ってくれた。
オーディオ会社は、
「給与額のことは、派遣会社が掌握している」と、突っぱねた。
仕方ないので、派遣会社のほうにその事実を告げると、
「え!?私たちは、委託された会社から預かっているお金の中でしか、
スタッフの給与を動かせません!」
と、言った。
…つまり、
互いが互いに、責任のなすり付け合いをし、責任逃れをし続けた(笑)
…つまりつまり、
一向に、僕の給料は、上がらなかった。
僕は、それでも、腐らなかった。
自分は自分で、
「更なるクオリティの向上」に努め、「会社の発展」に尽力した。
…ただ、
「何が会社にとっての発展」なのかは、よくわからなくなってきた…
僕は、少し、骨休めがしたくなった。
たまっていた有給10日間と、土日を組み合わせて、
2週間ばかし、エジプトやヨルダンにでも旅に出ようと、決めた。
2年ぶりの海外だった。
オーディオ会社は、
僕が骨休めを申請したことで、危機感を感じたらしかった。
派遣会社に給与3か月分か何かを支払うことで、
僕を「引き抜く」ことを、提案してきた。
「自社のスタッフにしてしまえば、給料が自在にいじれるよ」
とのことだった。
「幾ら欲しい?」
と尋ねられたので、
「客観的に評価すれば、1,700円くらいで妥当だと思うけれど、
最も古株のスタッフが1,500円なのだから、それ以上は無理だと解っている」
と、答えた。
上司は、「全く、仰せの通りだ」と笑った。
僕は、2週間の有給休暇の後から、
時給が1,500円に切り替わる権利を、得た。
…けれども、
このまま、このデフレ・スパイラル一直線の会社で、
「おんぶにだっこ」された状態で働き続けることが、有意義かどうか、
疑わしかった(笑)
その思いも、率直に伝えた。
「全く、仰せの通りだ。
ムカイくんは、他の会社に行ったら、
もっと楽な環境で、2,000円近く貰えるだろう」
と、言ってくれた。
「給料の決定権の無い先輩たち」は、
概ね、僕を同情していたし、僕の理解者と言えた。
僕は、「転職するかどうか、迷っている」と、素直に伝えた。
「いずれにしても、
キミと派遣会社との雇用関係は、有給消化と同時に切れるので、
旅から帰ってくるまでに、身の振りを決めてくれれば良い」
と、言ってくれた。
その上司に出来る、最大限の気遣いだった。
会社は、
慢性的な人員不足に加え、スーパーエースが戦列を離れるのに備え、
慌てて、求人を掛けた。1,200円で。
僕が旅行前最後の就業となる日に、
「彼」は、やってきた。
二十歳過ぎくらいの、メガネの男の子だった。
彼は、
午前中の研修中、とても寡黙で、素直だった。
「この子なら、それなりの戦力になるだろう」
と、僕を始め、誰もがそう感じた。
その日の昼休み、
弁当を買ってから休憩所に入ると、
恐ろしい光景が、目に飛び込んできた…!
新人の彼は、私服に着替えており、
チャラチャラした格好をしていた。
アタマにラスタのターバンを巻き、
首にコテコテのシルバーアクセをし、
腰には、大きなドクロのバックルのベルトをしていた。
そして、
ガムをクチャクチャと噛みながら、友人に電話をしていた。
「…でさぁ、今夜のクラブ、何人くらい集まりそうなん?
オマ〇コ・ギャル、来そうなん?」
…僕は、唖然としてしまったが、
何のリアクションもせず、黙々と弁当を食べた。
他の女性スタッフが休憩室に入ってきても、
彼は一向に、「オマ〇コ・トーク」を、止めなかった。
もちろん、
女性スタッフはドン引きし、唖然とし、不快な表情を示した。
僕は、
その日の就業後に、
新人の彼の「本性」を報告し、
「帰国後に彼と仕事をする気は起こらない」と、伝えた。
…つまり、
その日限りで、退社することにしたのだ。
既存のスタッフは、口を揃えて、
「退社は悲しいけれど、ムカイくんのことは責めない」
と、言ってくれた。
僕には、もちろん、
帰国後の就労のアテなど、さっぱり無かった。
ただただ、
この会社を辞めることだけを、決定しただけだった。
『導かれし者たち』